ティグラン・ハマシアン 2010年代作品 コンプリート・ガイド

シェアする

9月の全国4都市を巡る日本ツアーが間近に迫ったアルメニアのピアニスト、ティグラン・ハマシアン。Untitled Medleyではこれを機に、アルメニア人としてのアイデンティティに根ざした確固たる音楽観を、様々な手法で表現しているティグランの10年代作品を一挙レビュー。70年代のキース・ジャレットや2000年前後のブラッド・メルドーを彷彿とさせる非常に早いペースで創作している彼の活動を俯瞰してみた。

ティグランのプレイリストも作ったので、入門者はこちらもどうぞ。

※試聴用音源の音量にご注意ください。
※アルバムアートをクリックするとAmazonにジャンプします。

Tigran Hamasyan / Red Hail

Plus Loin (2009)

Tigran Hamasyan (p, rhodes, synth) Ben Wendel (sax, bassoon) Areni Agbabian (vo) Charles Altura (g) Sam Minaie (b) Nate Wood (ds)
前2作までは曲によってドゥドゥク*1を加えたりしつつもジャズの範疇を超えることはなかったティグランが、北欧のメシュガーや米国のトゥールといった先鋭的なメタル/オルタナ系バンドをも好む音楽性を露わにし、後に繋がる鮮烈な個性を開花させた3作目。

コーカサスのフローラ・プリム的なアレニ・アグバビアンの超絶スキャット、3曲でメタル志向全開なチャールズ・アルトゥラの爆裂ギターも交えつつ、怒涛の変拍子リフの応酬で駆け抜けるハイパー・ペイガン・ジャズ・ロックは、結果としてフランスの重鎮マグマが70年代後半あたりに示した世界に現代的なアプローチでアルメニア側から到達したかのよう。

ジャケットも含めて発売当時はジャズ・ピアニストの作品としてはあまりにも異色なモノだったが、2010年以降の彼が様々なフォーマットで展開した音の原点となる要素は、ほぼ本作に出揃っている。(吉本秀純


Tigran Hamasyan / A Fable

Verve (2011)

Tigran Hamasyan (p, vo)

ティグラン初のソロ・ピアノアルバム。収録曲はアルメニアの寓話作家/詩人の作品にインスパイアされたオリジナル曲や、アルメニアの伝統音楽を中心とした13曲。1曲目から「むかし、人里離れた山の向こうで…」という語りがどこからともなく聞こえてきそうだ。

収録曲は両手の複雑なポリフォニーとオリエンタルなメロディが特徴のテクニカルな曲と、朗読するようなペースでメロディをつむぐミドルテンポの曲におおよそ大別できる。前者はピアノの音の幾何学模様に開放的な口笛やハミングが乗る”What the Waves Brought”、ピアノとヴォイス、パーカッション、サウンドエフェクトのレイヤーに圧倒される多重録音作品”Carnaval”が特に素晴らしい。後者はグルジェフの曲をリアレンジした民族的な郷愁を誘う”The Spinners”、印象派風の出だしからアルメニア音楽特有のドラマチックな展開部へ進む”The Legend of the Moon”が記憶に残る。

メロディックで溌剌とした演奏が中心で、20代前半のティグランのポートレイトとしても聴ける作品だ*2。(北澤

Tigran Hamasyan / Shadow Theater

Verve (2013)

Tigran Hamasyan (p, keys) Areni Agbabian (vo) Ben Wendel (sax) Sam Minaie, Chris Tordini (b) Nate Wood (ds)

Jean-Marc Phillips Varjabedian (violin) Xavier Phillips (cello) Jan Bang, David Kiledjian (programming)

自身の歌声や口笛も交えつつマジカルなソロを展開した『A Fable』に続くVerveでの2作目は、ティグランの音楽性が最もカラフルかつポップな形で表現されたアルバムに。楽曲としては同郷の女性ボーカリストのアレニやニーボディとしても活躍するベン・ウェンデル(sax)とネイト・ウッド(ds)を含む5人編成のバンド用に作曲したものが中心となっているが、弦楽器やプログラミングなども要所に加わってよりチェンバー・ポップ的に作り込まれた音を展開。

本人も「今作は一般的なジャズのアルバムよりももう一歩“プロデュースされた”作品にしたいと考えていた」*3と語っているように、ピアニストとしての傑出した個性に加えて作曲家/アレンジャーとしての才や豊富なアイデアまでも時間をかけて具現化させ、より幅広い層の聴き手を魅了する作品となった。

ジャズはもちろんアルメニアの伝統曲や現代クラシック、硬質なオルタナ・メタルに、プレフューズ73やクラークといったエレクトロニカ/ビート・ミュージック系の才人たちをも好んで聴いていた彼の貪欲にして全方位的な音楽ヴィジョンが統合された、高密度にして優美なマージナル・シンフォニック・ポップ。

故郷アルメニアの伝統的な影絵芝居にインスパイアされたことから付けられたタイトルに象徴されるように、起伏に富んだアレンジと曲展開で現実と非現実を行き来しながらストーリー性豊かに紡がれた音絵巻は、2018年の今に聴けばサウンド・プロダクションなどにやや経年感はあるが、やはり圧倒的。ジャズ・ワルツ的なリズムに美しい弦楽器と幻想的なスキャットを伴い、竹村延和の傑作『Child’s View』(94年)を彷彿させる前半からシンフォニックに高揚する大団円的なクライマックスへと流れ込むラストの特別な響きを伴った名曲”Road Song”に至るまで、ティグランの尽きない音楽的冒険のひとつの頂点を示した代表作であることに変わりはない。(吉本)

Tigran Hamasyan / Mockroot

Mockroot

Nonesuch (2015)

Tigran Hamasyan (p, vo, key) Sam Minnie (eb) Arthur Hnatek (ds, electronics)

with: Gayanée Movsisyan, Areni Agbabian (vo) Ben Wendell (sax) Chris Termini (b) Nate Wood (ds)

ティグラン・ハマシアンのノンサッチ一作目。美しく透き通った流れるようなピアノと、暗く重い沈み込むようなリズムが対照をなし、光と闇が交互に訪れ、時にはその二つが重なり合うドラマチックな世界観が鮮烈だ。

女性ヴォーカルが鳥のように羽ばたく”Song For Melan & Rafik”では、円環的な展開の連続に圧倒される。メシュガーの影響を感じさせる変拍子やヘヴィネスが強烈だが、アルメニアの伝統音楽をベースにした”Kars 1.”と”Kars 2.”の哀しげな旋律を始めに、アルバムを通して印象に残るのは声とピアノが紡ぐ独特のメロディだ。音そのものではなく世界が立ち上がるような表現力をみせる”Lilac”のピアノ独奏や、電子的なビートの中を駆け抜ける”The Grid”のピアノソロにも注目したい。(佐藤 悠

Tigran Hamasyan / Luys i Luso

ECM (2015)

Tigran Hamasyan (p) Harutyun Topikyan (conductor) Yerevan State Chamber Choir

Verve、Nonesuchという規模の大きなレーベルからのリリースによって世界的に評価されることとなったティグラン・ハマシアンが新たにECMと契約し発表した一枚。前2作で非常に強固かつ多彩なバンドサウンドを聴かせてくれた彼だが、本作はその故郷アルメニアの5世紀から20世紀までの賛美歌や聖歌を題材に、自身のピアノと現地の聖歌隊Yerevan State Chamber Choirのためにアレンジしたコンセプチュアルな作風となっている。

元々彼はキース・ジャレットのグルジェフ集『Sacred Hymns』を通してアルメニアの伝統音楽に開眼し、特に讃美歌についてはその「何にも代えがたいほどの美しいメロディ」に魅了されたとのことで、本作でも声の用い方はポリフォニックに旋律を組み上げるたり、ドローン状のハーモニーとして背景的に響かせたりとヴァラエティ豊かでありつつ、”Ov Zarmanali 2″の終盤や”Hayrapetakan Maghterg 3″など随所で歌い上げられる旋律の美しさが際だって印象に残る。ティグラン自身のピアノも民族音楽らしい半音の動きを巧みにいかした演奏で原曲の雰囲気を尊重しつつ、”Ov Zarmanali 2″の中盤などでは声楽の脈打つようなリズムの高まりに呼応するように卓越した演奏を聴かせてくれる。

サウンドの静謐さや美しさ、そして地域性の反映など様々な面でECMのレーベルカラーにも合致した迷いのない力作。聴き終えれば静かな興奮の余韻があなたの手元に残るはずだ。(よろすず

Tigran Hamasyan / Atmospheres

ECM (2016)

Tigran Hamasyan (p) Arve Henriksen (tp) Eivind Aarset (g) Jan Bang (electronics, sampling)

前作に続きECMからのリリースとなった2枚組アルバム。ギタリストのアイヴィン・オールセット、トランペッターのアルヴェ・アンリクセン、ライブサンプリングやエレクトロニクスを用いて音楽を構築するヤン・バングというノルウェーの音楽家3名との共演作で、ティグランを含めた4者の連名によるリーダー作となっている。

アルバムは「Traces I~X」と題されたインプロヴィゼーショントラックと、アルメニアの作曲家コミタス・ヴァルダペットの楽曲のメロディーを用いた演奏を収めたトラックから成り立っており、前者はヤン・バングとオールセットの持続音やエフェクティブな音響が茫然と漂う”Traces I”、”Traces III”、”Traces X”と、そこに速度感のあるインプロで楔を打ち込むような”Traces II”や”Traces VII”、インプロでありながらアンリクセンが奏でるメロディアスなラインが印象的な”Traces IV”、”Traces V / Garun A”、”Traces IX”など、天気の移り変わりのような多様性を持ちつつ浮遊感が強めなのに対し、後者はティグランが先導して奏でるコミタスのメロディーによって比較的地に足のついた音楽となっている。

インプロトラックがまるで霧深い山奥の大気や、そこで自然が見せる様々な表情を思わせる中で、随所で挟まれるコミタスのメロディーを用いた演奏が人の気配や拠り所を見つけたような安心感を持って響く。即興を多く用いながらもここまで風景や心象の移り変わりを巧みに描くことができる4者の表現力と響きの多彩さに脱帽だ。(よろすず)

Tigran Hamasyan / An Ancient Observer

Nonesuch (2017)

Tigran Hamasyan (p, vo)

アメリカからアルメニアに帰国したティグランによる6年ぶりのソロ・ピアノ作品。『Luys i Luso』、『Atmospheres』と2枚のECM作品を経由し、宗教音楽的、教会音楽的な静謐さや瞑想性が以前よりも表に出ている。

曲は全作オリジナル。”The Cave of Rebirth”はピアノの細かいオスティナートに教会コラールのようなヴォイスが乗る曲で、序盤にふさわしい空間的な広がりが感じられる。”Nairian Odyssey”は「Hoy Nar」というアルメニアのフォークソングのメロディに触発されたリズミカルな曲(ティグランのパーカッシブなスキャット、というよりはビートボックスも入っている)。11分の中に飽きさせない展開がつまっており、特に作曲と即興がシームレスにつながったティグラン流のインプロヴィゼーションは見もの。

子どもがおもちゃのピアノを弾くようなイノセントな”Etude No.1″、4,000年前のエジプト詩にインスパイアされ、(おそらく)内部奏法の響きが太古の楽器をイメージさせる”Egyptian Poet”、亡き叔父に捧げた1音ずつ確かめるように弾いていく”Fides Tua”などその後も佳曲が続く。郷愁や寂寥を誘う曲が多く、かつてよりも一層深みを増したソロ作品だ。(北澤)

Tigran Hamasyan / For Gyumri


Nonesuch (2018)

Tigran Hamasyan (p, vo)

アルメニア出身のピアニスト、ティグラン・ハマシアンによる故郷のギュムリをテーマにしたソロ・ピアノ作品。

ギュムリ近くの火山の名前を冠した”Aragatz”は、風の音を思わせる自然と一体になった歌声が雄大な時間の流れを想起させる。エレクトロニクスを僅かに交えて幻想的な音の波を作り出す”Rays of Light”、踊るようなリズムで進んでいく”The American”、激しい焦燥を感じさせる”Self – Portrait 1″と続いていくが、即興をメインに聴かせるのではなく、各曲が固有の曲展開を持ち、個性が確立されている点に、作曲能力の高さを感じる。

音の響きの美しさとフレーズの展開の連続に何度も鳥肌が立つ”Revolving – Prayer”のピアノソロ的なパートでは、演奏家としての魅力を存分に見せつけてくれる。全5曲とは思えない聴きごたえのある作品だ。(佐藤)

ツアー日程

9月1日 東京ジャズフェスティバル(詳細
9月4日 西宮 兵庫県立芸術文化センター(詳細
9月5日 名古屋 今池ガスホール(詳細
9月7日 佐賀 アバンセ円形ホール(詳細

※9月1日のみティグラン・ハマシアン・トリオ、他がソロ・ピアノになります。

  1. アルメニアの民族楽器。
  2. 本作は2018年現在、廃盤かつダウンロード音源も販売していないが、Apple Musicやツタヤディスカスあたりで聴くことができる。
  3. 『Jazz The New Chapter 1』(シンコー・ミュージック)で筆者が担当したメール・インタビューより引用。